底辺校とされた学校とその周辺
この記事がネットで話題になっています。
田舎の底辺校から東大に入り
教育格差に絶望したという内容です。
著者の阿部幸大氏は北海道釧路市の出身です。
ここは私の故郷で居住中です。
彼の出身の
釧路市は北海道東部の中核地です。
人口は17万人。
釧路公立大、教育大学釧路校の2つの国公立大学があり、図書館、釧路博物館、美術館などあります。
また釧路高専もあり、地方では恵まれた環境との認識です。
実際住んでいる者には釧路を田舎としたいための誇張が過ぎると思います。
主語が違うと言いますが、
はじめに釧路出身である事を明かし、
「田舎は」となると釧路市=田舎との認識がされてしまいます。
底辺とされた中学校とその周辺環境
ここは公立で不良から優秀な生徒まで幅広く在籍する普通の中学です。
その時期不良が多いと荒れる事もありますが、そうではない時期もある一般的な学校です。
周辺には校区に日本製紙の工場、アイスホッケーの日本製紙クレインズの本拠地である釧路アイスアリーナがあります。
スーパーや住宅などある一般的な地域です。
極端な貧困地域でもありません。
そもそも釧路にそんな地域がある事を聞いた事もありません。
なぜ底辺校などど極端な表現を使うのでしょうか。今も通う生徒がいるのです。
鳥取中学校は底辺校ではありません。釧路市内に底辺校と認識された中学校はありません。
田舎とは
そもそも蔑称ではありませんか。
スタバができれば行列が出来ると馬鹿にしているとしか思えない表現です。
人口17万人がいれば市内に一店できれば行列が出来てもおかしくないのでは。
開店時の話でありその後は連日行列などはありません。
教育格差について
釧路市の教育環境は簡潔に説明すると
成績優秀者は湖陵高校に進学し大学へと進む。
そういった環境です。
小学校は一校だけ道教育大の附属小学校
国立大学法人北海道教育大学釧路附属小学校があります。附属中学校もあります。
中学は私立の武修館中学校があります。
つまり殆どの生徒が地域の公立の小中学校へ進みます。
高校も著者は成績ごとに割り振られ倍率は1.0とされていますが、私立が一校しかなくレベルもさほど高くない、確実に合格する為に冒険はできないのです。
大学について
前述のように市内に大学は2つあり、教育大学がある事もあり小中学校には毎年教育実習生が来ます。
"大学は思いつきもしない"
そこまでの特殊な地域とは思えません。
そもそもどこの地域でも毎日会う学校の先生は皆大卒です。大学をありもしない実感もできないというのは個人の想像力の問題もあるのではないでしょうか。
個人的な環境
私の家庭では兄が湖陵高校から大学に進学しています。
私が中学生の時に兄は大学受験でしたから大学など考えもしない存在ではありませんでした。
身近な存在です。
兄は湖陵高校に進学すると自然と大学受験を意識していました。
湖陵高校は進学率が高く就職はほんの数人なのです。
両親は高卒ですが兄が中学生の時から認識していました。
母は進学費用を考えると高専も考えて欲しかったようです。
湖陵高校=大学進学だからです。
同じ市内の近隣にいながらこれだけ家庭環境は違います。
阿部氏の述べた内容は彼個人に限定された経験です。
彼は田舎の環境について語りますが、同じ地域でここまで感じる事が違うのです。
個人的には田舎にいると大学など考えもしないという情報格差よりも
学費と仕送りという経済的な悩みの方が印象的です。
地方のサラリーマン家庭では非常に厳しいです。母は進学費用にいつも頭を悩ませていました。
私は中学生の内に2人とも大学進学は経済的に無理と認識しました。
兄の方が優秀で向上心がありましたし。
筆者は東京で浪人し大学から大学院と非常に恵まれた経済環境だと感じます。
情報格差を問題提起していますが、
教育格差は頭脳とお金さえあれば簡単に解決できます。
経済的に問題がないばかりに環境への問題提起に偏っているのでは?と思います。
またひらがなも読めない人がいるなどとそういった事は年代の違いであり、地域性ではありません。
そういった事は親よりも祖父母の年代の話であり、釧路市がそんな極端な地域だとの印象付けは納得できません。
このように家庭環境の違いによるものが多く、地域の環境のせいというというのは乱暴です。
この地域を必要以上に誇張して貶めて
その上で問題提起に耳を傾ける気には到底なれません。
何より底辺校とされた中学校の在校生がこの記事に目を触れない事を望みます。
何度も書きますが、
鳥取中学校は底辺校ではありません。